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辻希美 が振り返る、バッシングを受けても「母親らしくない」スタイルを貫いた理由

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1: 以下、名無しで筋肉速報がお送りします 2020/11/09(月) 19:16:12.14 ID:CAP_USER9

ごく稀に、ラジオ番組のゲストに芸能人をお招きすることがある。2年ほど前に辻希美さんをお迎えしたのは、「スーパー総選挙」の週。リスナーの好きなスーパーマーケット第1位を決める、人気企画だ。

お気に入りのスーパーを尋ねると、普段使いしている「アコレ」「イオン」のほかに、生鮮食品を中心に取り扱い、東京都、埼玉県、千葉県、茨城県に店舗展開する「コモディイイダ」の名を挙げた。理由を問うと、「鮭の切り身の塩加減が絶妙なんです」と、彼女は答えた。

 中規模以上のスーパーにはたいてい、トングでつまんでビニール袋に入れる、1枚いくらの鮭の切り身が生鮮食品売り場のバットに並べられている。そして、不思議とスーパーごとに味が異なるのだ。

つんく♂が「なんか持ってるヤツ」と語った辻
 1987年東京で生まれ、辻希美は、2000年に12歳でモーニング娘。のオーディションに合格した。同期は石川梨華、吉澤ひとみ、加護亜依。追加メンバーは3名のみの予定だったが、プロデューサーつんく♂氏の判断で、辻も追加合格となった。のちにつんく♂氏は『月刊BARKS』のインタビューで「なんか持ってるヤツというのはキランとするはずなんです。放っといても」と、辻の存在感を評している。

 普通の小学6年生が、一夜にして国民的アイドルの一員になった。辻は学校に通いながら、モーニング娘。の活動に明け暮れる。

「アイドルに憧れたのは、小学校4年生ぐらい。SPEEDが好きで、家では新聞紙とラムネの容器でマイクをつくって歌ってました」

 2000年5月、モーニング娘。9枚目のシングル『ハッピーサマーウェディング』でCDデビューを果たしたのち、身長150㎝以下のメンバーで構成されたグループ、ミニモニ。としても活動。抜群の運動神経で、ハロプロフットサルチームではゴレイロ(ゴールキーパー)に抜擢された。

「あっという間だったんですけど、一番濃くて、長く感じたかな~って思いますね。忙しすぎて、もうなんにも記憶がなくて。友達と遊びたいなと考える時間もなく、反抗期もなく、ひたすらにやることをやって、空いた時間で寝る。一日がどこからどこまでかも分からない生活だったので」

 学校へは、母の運転するママチャリの後ろで、ご飯を食べながら通っていたという。

「トイレで制服から洋服に着替えて仕事へ行くみたいなことを、もう、ずーっとやってましたね」

 加護亜依とのユニットW(ダブルユー)結成ののち、2004年8月に、わずか17歳でモーニング娘。を卒業した。

「ママゴト婚」とバッシングされた19歳での結婚
 コアファンの見立てとは異なるだろうが、私のような外野からは、卒業後の滑り出しは順調には見えなかった。期待度の高かったW(ダブルユー)の活動は休止し、フットサルチームからも離脱。本格的なソロタレントとしてのキャリアを開始して間もなく、19歳で俳優の杉浦太陽との結婚を発表。おなかには第1子がいた。

 当時、現役人気アイドルの結婚は、早すぎる「ママゴト婚」と揶揄され、スキャンダラスに報じられた。辻の母も祖母も、第1子を20歳で出産していたことなど、世間は知る由もなかった。

 出産のあともマスコミは容赦がなく、母親らしからぬ服装だ行動だなんだと、辻バッシングが続く。

「でも、自分が選んだ道っていうのもあったし、迷惑をかけてまでもこっちを選んだので、私はこれをがむしゃらにやらなきゃいけないっていうのがありました。ただ、世間に認めてもらいたい気持ちはなかったですね。もう、お仕事もできないだろうと思っていたので」

全文はソース元で
https://news.yahoo.co.jp/articles/0aa4172f1605a823c8fea4c24cf79d678605c1ff?page=1


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Source: 筋肉速報
辻希美 が振り返る、バッシングを受けても「母親らしくない」スタイルを貫いた理由