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【衝撃】ヒクソンは無敗ではなかった。「最強の男」が敗北から学んだこととは…

1: 以下、名無しで筋肉速報がお送りします 2020/10/21(水) 15:36:16.91 ID:CAP_USER9
いまから14年前、2006年に現役を引退したヒクソン・グレイシー。無敗伝説を誇った彼だが、実は若き日に敗北を経験していた。父エリオの前で喫した2度の負け試合とは何だったのか? そこから最強の男は如何にして「強靭なメンタル」を得たのか? ヒクソンを追い続ける気鋭のスポーツジャーナリストが深層に迫る。

■6歳の時、初めての試合で…

『400戦無敗』

最強の格闘家と呼ばれ続けたヒクソン・グレイシーに冠されたフレーズである。

1996年に初来日を果たした彼は日本で9試合を闘い、すべて勝利している。

『PRIDE1』(97年10月11日、東京ドーム)での高田延彦戦、『コロシアム2000』(2000年5月26日、東京ドーム)における船木誠勝戦は、いまも多くのファンの記憶に深く刻まれていることだろう。

2008年に現役引退を表明するまでヒクソンは、負ける姿を私たちに見せなかった。

だが、日本における試合以外のほとんどが記録として残されていない。そう、400戦のほとんどがリング上での試合ではなくストリートファイト、そして道場破りを相手にしたチャレンジファイトなのである。

ある時、私はヒクソンに尋ねた。

400戦無敗というのは本当なのか? これまでに一度も負けたことがないのか、と。

彼は静かな口調で答えた。

「最初に言っておきたいのは、400戦無敗というフレーズは私が口にしたものではない。初めて日本で試合をした時に、プロモーターが冠せたものだ。確かに私は、これまでに400戦以上闘ってきた。

だが、無敗ではない。二度、負けているんだ」

衝撃的な発言だった。では、その二度の敗北とは?

「私が柔術の手ほどきを受けたのは、2歳の時だったと父・エリオから聞いている。そして柔術の試合に始めて出場したのが6歳の時。そこで私は判定で負けたんだ。幼心に悔しかったことをよく憶えている。あの日のことは、50年以上経ったいまでも忘れられない。

負けた試合は、もう一つある。14歳の時の柔術の試合で、この時もポイント差によるものだった」

■「負けるな」ではなく「全力をつくせ」

彼の父エリオは、グレイシー柔術の創始だ。6歳であった彼は、周囲から多大に注目される中、プレッシャーを感じて試合に臨んだことだろう。

そこで負けた。

試合の直後、エリオはヒクソンに近づいた。

多くの者は、ヒクソンを叱りつけるのではないかと思っていたが、そうではなかった。

「よく堂々と闘った」

そう言って息子を抱きしめたのだ。

14歳で負けた時には、エリオは何も言わずに見守った。

ヒクソンは言う。

「私たち兄弟は、グレイシー家に生まれたことで闘うことを宿命づけられたという人たちがいる。だがそれは半分は正しくて、もう半分は正しくない。

なぜならば、私は父エリオから闘うことを強要されたことが一度もないからだ。

全文はソース元で
https://news.yahoo.co.jp/articles/8c1c4857743d26ce6c290496e643ff304a04d337
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Source: 筋肉速報
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