90分に渡る死闘として語り継がれる「伝説の桜庭和志vsホイス・グレイシー戦」から、本日5月1日で20年が経った。
桜庭和志「グレイシー一族撃破」から20年(1)はこちら>>>
1993年にプロレスラーとしてデビューした桜庭は、当時地味な職人肌のスタイルだったこともあり、
あまり目立つ選手ではなかった。だが、ヒクソン・グレイシーと?田延彦の初対決の舞台となった『PRIDE.1』が開催された1997年、大きな転機を迎える。
横浜アリーナで行なわれた総合格闘技イベント『UFCジャパン』で、桜庭はカーウソン・グレイシー柔術黒帯のマーカス・コナン・シウヴェイラに勝利。
さらに試合後、「プロレスラーは本当は強いんです!」というキラーフレーズを放ち、一躍脚光を浴びる存在となった。
そして、1999年には『PRIDE.8』でホイラー・グレイシーに完勝。試合後、桜庭はヒクソンに対戦要求したが、これは実現せず。しかし2000年、無差別級トーナメント『PRIDE GP 2000』でホイスとの対決に臨んだ—-。
「どうやら桜庭というプロレスラーは強いらしいぞ」
そんな噂がジワジワと広がるなか、桜庭の師匠である高田が何もできずに完敗を喫したホイス・グレイシーと『PRIDE GP 2000』の2回戦で対戦することが決定した。
当時、出版社で働いていた私は、この世起の一戦に向けて桜庭の自伝を企画。忙しい合間を縫って桜庭に執筆してもらい、2000年5月1日に東京ドーム付近の書店で先行発売することになった。
JR水道橋駅から決戦の場である東京ドームに向かう途中にある書店の店頭には、桜庭の自伝『ぼく。』の特設コーナーが用意された。
桜庭のイメージカラーである蛍光オレンジに、桜庭の柔和な笑顔が”どんっ”とデザインされた表紙の自伝の前は、たくさんの人が群がっていた。
桜庭はプロレスでチャンピオンだったわけでもないので、当時桜庭について詳しく知っているプロレスファンはそんなに多くなかったはずだ。だからこそ「この桜庭っていう強くて面白い選手はどんな選手なんだよ」と興味を持ってくれたようだ。
私はたしかな手応えを感じつつ、ドーム内に入っていった。決して満員ではなかったが、第1試合が終わり、次がいよいよ「桜庭vsホイス戦」だとなった瞬間のドームの雰囲気は、何とも言えないものだった。
https://news.yahoo.co.jp/articles/98a32a91f68c6e8de1ce3fa65517983e9d7c744b
5/1(金) 11:30配信
https://www.youtube.com/watch?v=-MCSeqDj4gU&t=209s
桜庭和志 入場曲 SPEED TK RE-MIX
https://www.youtube.com/watch?v=FOawLfhjlaU
PRIDE GP 2000 5.1 桜庭和志×ホイスグレイシー ROUND6
https://www.youtube.com/watch?v=PISgUi-k_9g
PRIDE・GP 桜庭和志マスクで入場
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Source: 筋肉速報
グレイシーがまさかのタオル投入。 桜庭和志がホイス戦圧勝で歴史を変えた