沢村賞右腕がマウンドに別れ! 今季限りで福岡ソフトバンクを退団した摂津正投手(36)が現役引退の意思を固めたことが29日、分かった。11月の12球団合同トライアウトは受けず、年内を区切りとしてホークス以外のNPB11球団からの獲得オファーを待ったが、この日までに連絡がなく決断した。ドラフト5位で2009年に26歳で入団。先発、中継ぎで数々のタイトルを獲得し、12年に沢村賞も受賞した遅咲きの右腕は「悔いはない。やりきった」と胸を張った。現時点で引退会見の予定はない。
■遅咲きのエース
「エース」と呼ばれた36歳が決断を下した。今季限りでの現役引退。11月4日に来季の構想外であることが発表されて以降、可能性を信じ、他の11球団からの獲得オファーを待ったが、摂津が「区切り」とした年内に吉報は訪れず。家族とも相談して、ユニホームを脱ぐことを決めた。
「自分の中でやれることはやった。体は元気なので、周りから『まだやれる』と言っていただけるのはありがたいけど、そこは自分でコントロールできることじゃない。実際にオファーがなかった。年内に声が掛からなければ引退しようと決めていたので、変な言い方になるかもしれないけど、自分の中ではスッキリした気持ちでいます」
日本シリーズ後にあった12球団合同トライアウトに参加しなかったのも、芯の強い摂津ならではの考えが根底にあった。「今の自分の力を見てもらおうと思って、10月のみやざきフェニックス・リーグで投げさせてもらった」。その時点でシーズン後の戦力外通告を覚悟し、懸命に右腕を振ったが、思いは報われなかった。「これが現状です」。潔く、現実を受け入れた。
チームはいまや、常勝球団としてプロ野球界の先頭を走るが、2000年代の終盤は世代交代期で苦戦が続いた。その時期から投手陣をけん引したのが、他でもない摂津だ。ドラフト5位で09年に26歳で入団。1年目にいきなり70試合に登板し、5勝2敗、34ホールドで新人王と最優秀中継ぎのタイトルに輝いた。
2年目の10年も中継ぎとして71試合に登板し、ソフトバンクでは初のリーグ優勝に貢献した。さらに先発転向した11年からは5年連続2桁勝利を達成。特に和田(16年に復帰)、杉内、ホールトンが一気に抜けた12年は17勝を挙げて沢村賞に輝くなど、常勝ホークスの屋台骨を支え続けた。
ここ3年は若手の台頭などで登板機会に恵まれなかったが、今季は5月22日の西武戦で618日ぶりの復活星を記録。お立ち台でファンの声援に声を詰まらせ、涙を流した。「真っ先に思い出すのはあの試合ですね。ファンのありがたみを心の底から感じた。本当に忘れられない試合となりました」。感謝の思いとともに、最も記憶に残る試合として胸に深く刻んだ。
真摯(しんし)に野球に取り組む姿勢も、若手の手本だった。千賀とともに次期エース候補に挙げられる東浜は「常にチームのことを考え、絶対に言い訳をしない。僕の目標とするスタイルです」と話すなど、目に見えない部分でも計り知れない功績を残した。
今後に関しては「まずはゆっくりしたい」と話すなど未定で、現時点では引退会見を開く予定はない。口数は少なく、背中で引っ張るタイプだった生きざまそのままに、一時代を築いた遅咲きの「エース」がひっそりとマウンドを去る。
◆摂津正(せっつ・ただし)1982年6月1日生まれ。秋田市出身。秋田経法大付高(現明桜高)で2000年の選抜大会に出場。JR東日本東北からドラフト5位で09年に入団し、1年目に70試合に登板して新人王。10年も71試合に登板し、2年連続で最優秀中継ぎのタイトルを獲得。先発転向した11年から5年連続2桁勝利を挙げ、17勝5敗で最多勝と勝率1位の投手2冠に輝いた12年は沢村賞。181センチ、93キロ。右投げ右打ち。
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Source: なんJ PRIDE
ソフトB退団の摂津が引退決断「やりきった」 年内区切りもオファーなく