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プロレスデビュー50周年・藤波辰爾の次なる野望は「70歳のドロップキック」猪木さんの言葉を胸にプロレス道突き進む

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1: 以下、名無しで筋肉速報がお送りします 2022/12/02(金) 06:23:42.52 ID:CQgWkj/I9

東京スポーツ2022年12月2日 05:15
https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/246895

〝炎の飛龍〟藤波辰爾(68)が、デビュー50周年記念ツアー最終戦「DRAGON EXPO 1971」(1日、東京・国立代々木競技場第二体育館)で新日本プロレスの棚橋弘至(46)と一騎打ち。師弟対決に敗れたものの、現役トップ選手を相手に健在ぶりをアピールした。亡き師匠・アントニオ猪木さん(享年79)の教え通り、常に挑戦を続ける藤波は、次なる野望として「70歳のドロップキック」を掲げた。

 2002年10月の「無我」後楽園大会以来、実に20年ぶりとなる愛弟子とのシングル戦。藤波は今年10月1日に死去し、約束の来場がかなわなかった師匠・猪木さんのテーマ曲「炎のファイター」で入場した。ドラゴンスクリュー、ドラゴンスリーパーと得意技で棚橋を攻め立てたが、最後はハイフライフローで3カウントを奪われた。

 試合後のリング上では猪木さんの追悼セレモニーも行われ、藤波が「我々レスラーは猪木さんの遺志を継いでまい進していきます」と宣言。「1・2・3、ダーッ!」の大合唱で締めくくった。

 デビュー50周年はたゆまぬ努力の末にたどり着いた金字塔と言っていい。それでも藤波は「もうちょっと自分の中で納得した動きができるまでリングに上がりたいなと。(年齢で)しょうがないじゃ済まされないからね。やっぱり勝負の世界、プロレスが好きなんだね」と向上心を忘れない。

 来年の12月には70歳を迎えるが、次なる野望もすでに定まっている。「やりたいことはある。『70歳のドロップキック』。今日も出せるまで(体調を)戻したかったんだけどね。もう1回、飛びたいなって。飛ぶことが俺の専売特許だったわけだから。飛べないドラゴンじゃあね…」

 ジュニアヘビー級時代から得意としていた華麗な飛び技は89年6月に腰を負傷してから激減しているが、現役を続ける以上は少しでも全盛時に近づけたいと強くこだわる。現代プロレス界におけるドロップキックの象徴的な使い手は新日本の〝レインメーカー〟オカダ・カズチカだ。今年3月大阪城大会では8人タッグ戦で激突しドロップキックを決められている。

 藤波は「レインメーカーを返して有頂天になったら、ドロップキックをくらったんだよね。自分の中でインプットしてあるし、今度は(シングルで)オカダをちょっと肌で感じてみたいね」と、〝雪辱〟に意欲を燃やした。

 その根底には師匠からの教えがある。「猪木さんが『人は歩みを止めたときに、そして挑戦をあきらめた時に年老いていく』と言ってたじゃない。今の僕にはあの言葉が一番響きますね」。信じ続けた〝プロレス道〟を、藤波はこれからも迷わずに突き進む。

岡本佑介


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Source: 筋肉速報
プロレスデビュー50周年・藤波辰爾の次なる野望は「70歳のドロップキック」猪木さんの言葉を胸にプロレス道突き進む